知立祭りを神事の視点で特集!これを見れば、もっと祭に詳しくなる。

5月2日、知立神社から御神体は、お旅所(知立市山屋敷町内)へと向かい、町々の賑わいや、状況を見て回ります。そしてお旅所で一晩お休みになり、3日の朝をお迎えになります。朝の神事は、赤瓢箪(あかびょうたん)が長篠町公民館より向かい9:00に宮入します。(赤瓢箪は長篠町と西丘町が各年ごとにおこなう)14:00前後、5カ町の花車が奉納された後、御神体を乗せた御輿は、白装束の一行により各町の山車とは別ルート・出会わない時間に神社へとお帰りになります。

神職が宮入する山車を出迎える光景。

今年の一番手に宮入した宝町。

山車の奉納(五台の山車全てが、神様に見て頂く前にお清めがされる)。※〔特別な許可を得て撮影しています〕

山車の奉納後、しばらく時間をあけ、御神体を乗せた御輿が境内へ。

例祭(知立祭り)・神幸祭

3日午前11時には神事がとり行われ、その後お旅所(知立市山屋敷町内)から神輿が長い行列を組んで渡御する。隔年で本祭りの年には、5台の豪華な山車が知立5カ町から奉納され、境内に勢揃いしたあと「山車上で文楽やからくり人形が」上演される(国重要無形民俗文化財)。間(あい)祭りの年にはきらびやかな花車が奉納されます。(平成30年は本祭り)

知立神社の旧称は「池鯉鮒大明神」、江戸時代には「東海道三社」の1つに数えられた。御祭神は6柱で、聖徳太子も御祭神。 当初の鎮座地は、東へ約1キロメートルの山町の高地であったといわれる。一時上重原を経て、現在地に移ったのは天正元年(1573年)になる。(領主である水野家から崇敬庇護され、天文16年(1547)の戸田氏からの兵火により社殿が焼失すると当初の鎮座地である山町の北部から上重原へ遷座、さらに元亀2年(1571)に再び焼失すると天正元年(1573年)に現在地に遷座し、当時の領主水野信之が社殿を造営しました。その後は松平清康や徳川家康などから庇護された。

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5 Comments

  1. 神聖なる儀式のお写真、清められます。ありがとうございます。

  2. 知立祭りが多くの人に知られる事で祭礼の成り立ちや歴史が掘り起こされて益々重いものだと感じます

    • 歴史や文化についても今後もご紹介できたらと考えております。ありがとうございます!

  3. とても貴重なお写真ですね。
    このような神聖なお写真は、なかなか拝むこともできませんので、大変ありがたく感じております。

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