ついに!埋蔵金発掘プロジェクトが始動!!

「この城は、これ以上持ちこたえる事はできない」。「しかし、いつか再び、勢力を盛り返して、今川義元を討たなければならない」。「そのためには多くの金がいる。その資金にするために、城の中にある黄金を誰にもわからないように埋めておけ」! 山岡 伝五郎

プロジェクト一行は関係各省から情報入手、資料解析で3カ月が経過していた。

「徳川埋蔵金」「海賊キッドの宝」「天草四郎の秘宝」「ロマノフ王朝の秘宝」日本各地には、数多くの埋蔵金伝説が存在する。

ここ、愛知県知立市には『重原城 埋蔵金伝説』があるのをご存じだろうか!?

 

数十万両の黄金が眠る「朝日の照る、夕日の輝き」。

この暗号の謎を解き、埋蔵金をもとに知立に温泉を作りましょう!(仮称)『弘法温泉』・『伝五郎の湯』。知立埋蔵金プロジェクト、只今より始動します!「知立埋蔵金プロジェクトメンバー」を立上げをおこない、『第1回 聞き込み調査を開始します』(東海古城研究会 幹部の方からの指導あり)

プロジェクトにご興味をお持ちの方は、名鉄三河線「重原駅」から徒歩1分。平成28年4月10日10:00に上重原公民館にお越しください。

 

≪発掘の可能性に関して≫

今現在までに実施された、遺跡試掘調査の結果によると、市内には32か所の遺跡が存在しています。このうち、重原城跡が所在する上重原町では、9か所の遺跡が確認でき、市域の中でも最も濃密な分布を示していることがわかりました。ところが、9か所の遺跡のうち発掘調査により内容が明らかになっているのは、昭和49年の小針遺跡の1か所のみです。

残り8か所は表面採掘調査または、作物耕作中に遺物が採集されたことにより、遺跡が存在する可能性があるという見解に留まっています。昭和35年1月、重原城、堀跡の東側で実施された、土取り工事の際、貝塚とともに、多量の各種遺物が出土している・・。

重原城はどこにあったのか

 

現在、名古屋鉄道三河線「重原駅」から東方へ約150メートル、知立農協上重原支店の東隣に存在する竹林一帯が重原城の跡とされています。その北を西に流れる長篠川に沿った位置に「重原城跡」の石碑が建立されているが、現状では南北から東へ曲がるL字状の堀跡を確認できるのみである。重原城周辺の状況は、地籍図にうかがえる明治時代初期から大きな変化はしていないようである。

現状では、上重原の交差点から萬福寺、南へ通じる道がそのまま西方に伸びて刈谷市に抜けているが、当時は萬福寺が突き当りとなっており、長篠川を渡って直接、刈谷市に到る道筋は存在していない。この点と北側を走行する名鉄三河線が敷設されていない点の他に際立った差異は見受けられない。明治期以前、万福寺下の河原は垂直に切り立ち、本来ひと続きの河岸段丘面に人為を施したものと推定できる。

この結果、重原城跡が立地する河岸段丘面には周辺から隔絶した状況が作り出されている。このことから、長篠川は重原城の外郭を成していたものと推測でき、また、長篠川を渡って刈谷市に到る道程が存在しなかった点についても説明が可能である。重原城周辺の地形は複雑に入り込んでいるが、城一帯を周辺から隔絶させる上で、長篠川が的確に自然地形を補っている点などが判明した。

 

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*