まちの歴史を知ろう!

知立駅の歴史と発展、弘法のにぎわいなど、知立の様々な歴史を学び、今後の将来について考える課外授業が行われ、知立高等学校の学生らが熱心に聞き入っていた 。

~ さかのぼること大正四年、ロバート・スティーブンソン120型蒸気機関車がイギリスから輸入され、知立のまちを走っていました…

黒鉛を噴きながら、連結棒の減速とともに四尺ほどの大きな車輪が動きをとめる。扉が開き、人びとは慌しく。家路へと駆けていく者‥ 大きな風呂敷を担ぎ直し、次の市場へとむかう者‥ 次の再会までの別れを惜しむ恋人たち。

〔百年後となる こんにち〕このようなな情景があたまの中に描かれていたのかもしれません。『三河知立駅』は三河鉄道(現:名鉄)が開業した、知立市で最初の鉄道駅です。1914年に大浜港駅(現:碧南駅)から刈谷新駅(現:刈谷駅)を開通させたのが始まりで、翌1915年に刈谷新駅(現:刈谷駅)から知立駅(現:三河知立駅)が誕生しました。

生活体験が少ない中、楽しみと笑いを織り交ぜながら歴史に触れていく、「知立動けば会」の鈴木講師のお話しは、愛とユーモアに溢れ、取材者もにこやかな気持ちにさせて頂きました。

明治用水により田畑の農業化が劇的に進んだこと。鉄道のインフラ整備による市民の足として。そして交通の要としての知立も確立したこと。三河知立駅のはす向かいの建物は知立市庫で、現在の農協にあたる食物庫として活躍していたというお話もありました。

学生たちは知立の様々な歴史を学び、今後の新たな知立駅についても、どのような事を残してゆくべきなのかを考える機会になっていました。

先月、開業100周年をむかえた歴史のある駅ですが、知立駅高架化に伴い三河知立駅は地上区間になり、移転される予定となっています。
知立市まちづくり委員会、小橋委員長からの投げかけがあり、新たな知立駅開発について、今後どのような事を後世に残すべきか。というメッセージを受け、学生たちは意見交換や、想いを書き綴る姿が印象的でした。今回の課外授業を通じ様々な気づきや学びがあったことでしょう。

『古きを敬い新しきと融合させる。ここで市民のみなさんの意見をいくつかご紹介させて頂きます』

「三河知立駅100年記念に レールの一部を残して記念碑を建てる。知立の歴史を綴る写真パネルなどが残せると良いと思います」

「残すべき歴史建造物の一部を新たな場所に組み込むのも良いと思います。実例として思い出されるのは、横浜みなとみらい線の「馬車道駅」です。過去と未来の融合が見事に調和できていると思います」。

「三河知立駅の移転により知立の魅力、かきつばたの無量寿寺、東海道池鯉鮒宿にもアクセスが良くなります。観光に来るかたが増えるのを願うのと、これを機にウォーキングロードを整備するのも良いと思います」

みなさまも今後の知立駅開発に対して様々な想いがあるかと思います。理想とする知立駅について、みなさまのご意見を提案してみてはいかがでしょうか 。

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